9月4日の日報 君の名は

お疲れ様です。伊藤です。
本日はこれにして失礼いたします。

虫眼とアニ眼 (新潮文庫)

虫眼とアニ眼 (新潮文庫)

やっとの思いで(私は常人より読むスピードが3倍遅いので)この本を読んでいるのですが、途中で宮崎駿氏 a.k.a 宮さんがこんなことを言っていて興味深かったです。

昔の物語にはよくあるんです。本当の名前を当てるとかね。
本当の名前を自分では持ってて、よほど親しくないと言わないというような文化的基盤とか

そこで対談相手の養老さんも続きます。

有名な諸葛亮は諸葛が姓で亮が名前ですが、亮のかわりに孔明という字なが知られている。
本当の名前を知られると、その人に思うようにされるっていう考え方がいろんな文化にある。

千と千尋の神隠し』でも本当の名前はキーワードになっていますし、『ゲド戦記』も然り。
違うところでは、漫画『NARUTO』でも九尾の本当の名前が、なんだか意味ありげに登場しますね。

「本当の名前を知っている知らないとで、対人関係が変わってくる。はたまたそこに魔法など絡ませるとファンタジーな世界も重厚になるな〜」
私はこの本をトイレで読みながら、ほ〜と感心しておりました。

はて、しかしこの「本当の名前を知られると、その人に思うようにされる」という状況は、どこかで見たことがありゃしないかい。
そう不思議に思った瞬間、あ、そうか、と。
ぼくらが毎日身を浸しているソーシャルネットほにゃららですね〜。

Facebookは実名だとして、その他もろもろ。
「本当の名前が知られると、ヤバい」
なるほど我々も既にファンタジーワールドへ突入していたのです。
反町ポイズンの歌詞も納得がいくってもんです。
合点がいった。

この『虫眼とアニ眼』は、対談もさることながら、宮さんと養老おじさまの博識っぷりに
「俺もおじいちゃんになる頃にこれくらいなってないと嘘だな」
と、今のうちからの勉学を焦らされる一冊でございました。

それでは明日も宜しくお願いいたします。
(この伊藤日報というペンネームも、本名バレたくない精神の象徴でした)