6月2日の日報 ひとことのこと

お疲れ様です。伊藤です。
本日はこれにて失礼いたします。

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昨夜、某レストランで妻と夕食をとっていると、隣の席に若いカップルがやって来ました。
彼女はいわゆるギャルでして、席につくとおもむろに鞄からケーブルらしきものを取り出し、席の後ろの壁にあったコンセントにプラグを挿すわけです。
次にケーブルのもう片方をスマホプラグイン
見事なまでの充電開始でした。

それを真横で見ていた私も妻も充分に引いてましたが、丁度よいタイミングで注文をとりに来た店員(若い女子)もそれを見て
「え」
という感じの、これまたお見事な引き具合。

まぁ引くでしょう。
何の躊躇もなくお店の電気で自分の携帯を充電し始めるというのは、少なくともこの国のコモンセンスでは無いはずです。
しかし、店員ちゃんも何も言えず。
後になって僕らが食事を終えて席を立つ際、別の店員さんが壁際のスマホを見つけて
「こちらはお客様の…?」
と聞いてくると、カップルの彼氏の方(体格、会話の内容から彼はラガーマンらしい)が
「いや、こっちの」
と、すかさずキレ気味にブッ刺しにきましたね。
何故貴君がキレるのか。

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しかし、その数時間前に、私も似たようなことをしてしまっていたのでした。
この日は根津〜千駄木〜谷中のいわゆる『谷根千』エリアを初めて訪れました。

根津神社からスタートし、千駄木の住宅街に点在するセンスの良い小さなお店群を抜け、谷中の『HAGISO』でお茶してから谷中銀座をブラリ。
訪れた方は分かるかと思いますが、これぞ「散策」という2文字がぴったりの完成されたコースを満喫した私はすっかりご満悦です。

なにより、昭和が色濃く残る建物が多いのです。
「○○荘」みたいな、オンボロアパート(というと聞こえは悪いですが)があちこちに残っている。
「大学をロックアウトされて暇を持て余した長髪の若者が、四畳半の部屋の窓ぎわに腰掛けてフォークギターをポロロンとつま弾く」
……という文化は、80年代生まれの私には終ぞ体験しえない代物です。
そんな時代に憧憬の念を抱く私には、その類いのアパートを見ると無性に興奮する性癖がありました。

なので、
谷根千エリアを歩きながらツタの絡まるアパートに出会っては「ムフー!」と写真を撮りまくっていたのです。

ところが、
夕陽に照らされてノスタルジックに輝く昭和なアパートを見つけて「これは!」と脊髄反射で写真を撮っていると、そのアパートの大家さんでしょうか、お婆さんに
「写真を撮ってはいけないよ」
と注意されました。

その前後で、『ここは私有地です』と窓に書かれたアパートや、『撮影はご遠慮ください』と注意する谷中銀座を見て「なるほど」と理解しました。
悪意の有無は置いといて、私のように物珍しさでパシャパシャと人の住まいを写真に収める人が後を絶たないのでしょう。
最近人気の谷根千エリアだからこそ、外部からうじゃうじゃと観光客が押し寄せる真っ只中に住む彼らはにとって、プライバシーは根深い問題なのかもしれません。

誰だって自分が受け手になれば物の見方も逆転するものです。私の想像力が足りなかった。
お婆さんには(その他の家の住人にも)悪いことをしたと、猛省しております。

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もしかしたら、
お婆さんに先に「撮ってもよいか」とお願いしていれば撮らせてくれたかもしれないし、逆に余計に説教されることになったとしても、その時はコチラが悪かっただけだと反省するだけで、妙なわだかまりを抱えることも無いでしょう。

レストランのカップルも、店員さんに充電させて欲しい旨を尋ねればよかったかもしれない。
そこで眉をひそめるようなケチなお店にも見えませんでしたし、いやそれでも客を甘やかすとキリがないことを知った上で丁寧に断るかもしれない。
どちらにせよ双方に一定の納得と理解はできたのではないでしょうか。

たった一言で180°結果が変わる世界は確実に存在します。
それは「一言付け加えるべき」なのか「余計な一言」なのか、ケースバイケースでしょうけども、意識のバイアスがガクンと変わるだけのパワーを備えている。コミュニケーションにおいて重要です。
この「一言」を使いこなせるようになれば、人生も豊かになるのかな〜。


いやはや、精進します。
それでは明日もよろしくお願いいたします。

ちなみに、
そのレストランで仙台名物牛タンを食べまして、
日が変わった今夜も仙台名物牛タンを食べました。
牛タンよ永遠なれ。

たった

たった"ひと言"の影響力