12月26日の日報 ルンバ物語

お疲れ様です。伊藤です。
本日はこれにて失礼いたします。

1.
ルンバ。
床を徘徊し、ゴミを吸い込みながら自走するロボット。
障害物センサーを実装し、部屋のなかを半永久的にうろうろし続けるという画期的なアイデアのもとに誕生した。
その登場が当時の世間にもたらした衝撃はなかなかのものであった。
「お掃除ロボット!」
人類が夢みた未来の暮らし。それを実現する第一歩が、ついにカタチとなったのだ。

しかし、時が経つにつれてその存在は希薄になりつつあった。
なくてはならない程のもの……でもない。
むしろ、部屋を完全に綺麗にしようとするなら結局人間が動かなくてはならないので、普段からルンバを部屋に転がしていても大して意味はないのではないか。そう気付いた人々は、いつしかルンバを充電装置に繋いだまま、その存在を忘れ去っていった。
皮肉なことに、ゴミを片付ける役割をもつルンバが、購入からしばらくするとゴミとして扱われるようになっていた。

2.
東京都内のある会社で数年前に購入されたルンバもまた、床の隅に置かれっ放しで、そのスイッチがONになる機会は年に一度あるかないか、いや、むしろ無かった。
いつからか、ただのモニュメントと化していたルンバは、いつか主人のために働ける日がくると胸を躍らせながら、ただ静かに眠るだけであった。
だがルンバの心境などわかり得るはずもない会社の人々は、仕事場の床にただ鎮座するだけのルンバの扱いに、ほとほと困り果てていた。

そして迎えた年の瀬。仕事場の大掃除の日に、スタッフの誰かが叫んだ。
「このルンバ、どうします?」
別のスタッフが呼応する。
「もう使ってないし、捨ててもいいんじゃない?」
「でもどうやって捨てる? 粗大ゴミかなぁ」
議論の結果、ある男性スタッフが責任を持ってルンバを捨てることになった。

3.
数日後。都内では例年より早い時期に雪が降った。
男はしんしんと雪が舞うなかを歩いて会社へやって来た。
既に休暇に入ったオフィスには誰もいない。
大掃除の日も触られることがなかったルンバには、1年分以上のほこりが積もっている。小綺麗なオフィスにあって、ルンバだけが時を止めたままのように見えた。

男はルンバを持ち上げて、しばしその円盤形のボディを眺めた。
このロボットが仕事場に来た頃に比べて、会社も随分と変わった。人が増え、物も増え、そして思い出も増えた。
そんなちょっとした歴史を、このロボットは部屋の片隅からずっと見守ってきた。本来の役目を果たさせてもらえずに。

少しだけ感傷的になりもしたが、しかしこれ以上出番がないとわかっているルンバを、このままオフィスに残すのも野暮だと男は判断し、そのままルンバを抱えて会社をあとにした。

4.
冬休みで人気が無いオフィス街を少し歩くと、ビルとビルの間に小さな公園がある。
ベンチと水飲み場のあるだけで、むしろ広場といった赴きが強いそのスペースに男は足を踏み入れた。

雪はまだちらちらと降ってはいるが、積もるほどではなさそうだ。きっと今夜には止むだろう。
溶けた雪を吸って濡れた土の上に男はルンバを置き、久しぶりにそのスイッチをONにした。
「ウィイイイイ」
音を立ててうろうろしはじめるルンバを見届けると、男はそのまま公園から歩き去った。
「どうせ捨てるなら、最後にその役目を果たさせてやろう。こいつを見つけた誰かが、拾って捨てるその時まで」

5.
長い眠りから目を覚ましたルンバは、やっと訪れた出番に紅潮しながらそのセンサーを働かしていた。
「いつもの場所と違う」
あの賑やかで温かいオフィスでなければ、主人たる人々の姿もない。それはわかっている。
だが、主人はじぶんのスイッチをつけてくれた。だから掃除をしよう。ちゃんと掃除をしていればやがて主人が戻ってきて、じぶんを抱きかかえてあのオフィスへ一緒に帰るだろう……。

砂利がボディを容赦なく傷つける。
灰色の空の下、吸い込むべきゴミのない公園をルンバはひたすら徘徊しつづけた。

6.
ルンバは自分の進む方向を自ら決めることができない。
ただ前進するのみ。
なにか乗り越えられない物体に近付いたときだけ、埋め込まれたセンサーが「あっちへ行け」「こっちへ進め」と強制的に体をねじらせる。
ルンバはこの先なにが待ち受けるかわからない世界を、ひとりぼっちで走り続けた。

やがて偶然にもセンサーが示した方向が公園の出口へと向かい、ルンバは歩道へ、そして車道へと出てきた。
車の往来は少ないものの、時々通りがかるタクシーのタイヤとタイヤの間をすりぬけながら、ルンバは障害物を避けて走りつづけた。

時々通行人が不思議そうな顔でこちらを見ているが、しかし決して近付こうとはしなかった。
街中の路上を滑るようにロボットが走る光景に、人々はもはや強い関心を抱くことはない。それ程までに社会におけるルンバの存在感は弱まっていた。

7.
障害物センサーが仕向ける方向がイタズラし、いつの間にかルンバは駅の改札をすり抜けて電車に乗り込んでいた。
「まぁ、かわいいロボットさんね」
優先席の老婆は笑いながら話しかけ、
「ロボットが電車をキレイにしてくれてるよ」
と、幼稚園児が居眠りするママの袖を引っ張った。

電車からまた別の電車へ、
タクシーからバスへ、
やがてフェリーに乗り、
広大な大地をまっすぐに走る道をまっすぐに走ったルンバは、
偶然が偶然を呼ぶ数寄な旅路の果てに、ついに日本最北の島へと辿り着いた。

8.
その間も、ルンバは一生懸命に掃除をつづけた。
ゴミをみつけて駆除するのが自分の役目、それ以外に自分の存在意義はない。だから掃除をしなくてはいけない、そうでなくては皆ぼくのことを忘れてしまう……
「いつか主人が自分を探し出してくれる」
そう信じているかのように、愚直なまでに道を綺麗にしながら徘徊しつづけたルンバのボディは、もはやボロボロになっていた。

もう年は越えただろうか、そんな世の中の動向がわからないほど、北の大地には人はいなかった。
白銀の雪景色のなか、一本の筋が見えればそれはルンバの進んだ跡である。
だが誰もその存在を知らない。

孤独なまま行く宛もない旅を往くルンバ。
音のない雪の世界をのろのろと進む健気な姿は、やがて夜の闇に吸い込まれて消えた。
ルンバがその後、どこへ行き、どこで電池という名の寿命を終えたか、知る者はいない。


のちのチンギス・ハーンである。

それでは明日もよろしくお願いいたします。