2月18日の日報 正方形の中の美女 の巻

お疲れ様です。伊藤です。
本日はこれにて失礼いたします。

私もFacebookTwitterといったいわゆるSNS、またの名をソーシャルほにゃららに登録しているわけだが、今朝からFacebookの『あなたの知り合いかも?』欄に、無駄にボインなかわいこちゃんが登場している。
プロフィール写真にしては、逆に不釣り合いなほどバッチリ決めた写真。いわゆる、アー写(アーティスト写真)であった。

しかし、彼女の名前に聞き覚えはない。よく見れば、共通の知り合いはいないという。
出身地や出身校も一緒ではない、同じ「イイネ」のFBページもないのに、一体なぜFacebookは彼女を私に推してくるのだろう……。
不思議に思った私だったが、
しばらくすると先日読んだ「Facebookの謎の美人アカウントにご注意!」みたいなブログ記事のことが鮮明に蘇ってきた。
そう言われてみると、美人且つ男心をくすぐるこのプロフィール写真……なんだか怪しい!

「ひょっとして、これが最近噂の、美人局スパムアカウント!」
私は恐々としていた。
本来ならば、
スパムアカウントというのは『知り合いかも』欄に登場する必要はなく、直接的に友達申請をしてくるのが行動パターンなので、これがスパムアカウントだろうが何だろうか、この時点では私に直接的な害はないはずである。
しかし私は恐々とし過ぎていたため、冷静な判断を欠いていた。
「俺もついに目をつけられちまった!」

しかし恐々としながらも、こっそりカノジョのページを覗くだけの、ひとかけらの勇気は備え持っていたのである。
mixiのように足跡機能がないことが幸いした)
すると、彼女のプロフィールはえらい質素であった。それもまた怪しい。
彼女の友人たちは、これまた全く面識のないメンズが20人弱。
彼女自身による目立った投稿もなにもない。写真もない。なーんも、ない。

なーんもない、ということで、次第に「この人はスパムアカウントではないのか?」と思えて来た。
「むしろアイドルみたいな仕事をしている人なら、これくらいのガチ写真をプロフィールにするのもおかしくない。現に可愛いわけだし。
むむむ、だとしたら美人局と疑ってしまって申し訳ない」
お詫びの代わりに友人申請を……というところまでが相手のシナリオ通りだったとしたら、その巧妙さたるや敵ながら天晴!

かくして私は、未だに画面右上で微笑む彼女を視界の隅に捉えながら、
「決して油断してはならぬ!」
と己に言い聞かせつつ、私を決して裏切らない愛すべき友人たちの日々の営みにイイネ!しまくっている。

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それにしても、プロフィール写真とはじつに奥深いものだと気付かされる。
あの小さい正方形に収まる十人十色の写真たち。
それを見ながら、人々はかくも様々な予想・想像・妄想を無限のフィールドで膨らませていく。
どんな些細なことが、このソーシャルほにゃらら上で影響力をもつか。それは誰にも計れないのだ。

カノジョの場合、ただ可愛い笑顔の写真だけならなにも問題はなかっただろう。
「よっ、かわいこちゃん! イイネ!」
三十路も越えたおっさんならば、その可愛い笑顔に鼻の下を伸ばして浮き足立つのも罪とはいえない。それが運命(SADAME)。

問題なのは、無駄に谷間を強調するそのおっぱいである。
「よっ、かわいこちゃん! イ……ごくり!」
プロフィール写真の正方形下部、辛うじて見える胸の谷間、その縦幅わずかに7px。
そこに視線を向けてしまった男は、メデューサに睨まれたかの如く石の像のように凝固するという。
「し、視線を……はずせない!」
それが運命(SADAME)。

嗚呼、かわいこちゃんよ。
「何故に貴方はおっぱいを強調するのか! それは必要なのか? プロフィール画像に入れる必要があったのか?」
仕事中であるが故に、眉間に皺をよせて真剣な表情を繕いながらも、画面のおっぱいに向かって無言の尋問をせまる私。
プロフィール画像で艶かしく我々を誘惑してくる淑女よ。あなたはそのチャーミングな笑顔とエキゾチックな胸の谷間をもってして、ソーシャルほにゃららの世界を掌握できるとお思いか?
……悔しいがその通りだ!」

『ソーシャルほにゃららのプロフィール画像におけるおっぱいの需要とその影響力』については、熱い議論が業界の片隅で昼夜を問わず繰り広げられているのは皆さんも承知のことと思う。
白黒つきそうにないこの悠久の議論を他所に、今日も正体不明のおっぱいがソーシャルほにゃらら上で飛び交っている。

誰しもが、プロフィール画像をはじめとするSNS上の自分の写真のなかに『勝負画像』を準備するものである。
今日現れた彼女の画像は、果たしてその勝負画像であっただろうか。
それとも、男心を逆手にとったスパム君か。
フレンド申請をすればその謎が解けるかもしれぬ。
しかし、私にそんな勇気はない。
「綺麗なバラにはトゲがある」

「ええぃ、Facebookめ、実名制がなんだ。
安心しておっぱいを眺められないなら、何やったって一緒じゃないか!」
荒れる私。
結局、ソーシャルほにゃららなんて、人の欲望が油分として表面に浮かぶ得体の知れない底なし沼。
我々メンズは、おっぱいという名の沼へと沈んでく運命(SADAME)なのだ。

それでは明日も宜しくお願いいたします。