7月24日の日報

お疲れ様です。伊藤です。
本日はこれにて失礼いたします。

「日報を書かねばならぬ」という日々のプレッシャーのせいでしょう、ついに夢にまで見ました、日報を。
もうほとんど病気です。

その夢の中で私は日報を書いているのですが、そこはさすがの夢、おもしろい話がスラスラと出てくるではありませんか。
自分で自分の日報にウケてしまい、恐らく現実世界の私も寝ながらにして「いひひ」と笑っていたのではないかと思う程の愉快痛快な日報の嵐。
まったく、この才能め、今までどこに隠れておったのだ。

そんな夢のような日報ライフを送れていたはずが、起きたらキレイサッパリと内容を忘れているのだから困ったものです。まるで悪い夢だ。
目を覚ました直後は
「こりゃいい夢をみたぞ、今日の日報のネタにしてやろう」
という、日報とはその日に起きた出来事を報告するもの、という本来の主旨を完全無視した余裕しゃくしゃくの不埒な考えに思わずほくそ笑んでしまいますが、
ではどんな夢であったろうかと思い出そうとすると、あれま、「はて、なんであったろうか」と首を傾げるのです。

やはり、アイデアは思いついた時に書き留める。
これは鉄則です。
寝ていようが寝てまいが、「閃き」というのは読んで字の如し、瞬いてすぐに姿を消してしまう儚きもの。
その閃光を逃さぬためにもここはひとつ、「日報ノート」という、二重語句というか反発分子というか矛盾というか、なんだかその存在自体が禁じられたものであるかのような非常に納得しづらいネーミングのノートでも用意しようかしらん。

ちなみに、ミスチルの桜井氏も曲のアイデアが浮かんだときにサッとメモをとれるようにノートを肌身離さず持っている(寝るときでさえも)というエピソードを昔聞いたことがありますが、それと同じです。
ある夜突然、ガバッと身を起こし、
「なりゆきまかせの恋に落ち時には誰かを傷つけたとしてもその度こころ痛めるよな時代じゃYEAH!!!!!」
と髪を振り乱してメモメモするやもしれぬ。

そうして「禁断の日報ノート」に夢物語…もとい夢日報を書き溜めていった暁には、
必ず「こんな夢をみた」というコピーから始まる
短編日報たちを集めた映画にして、ま、あとは夢の印税生活で余生を送ることができればなあ。
夢のような話である。

「え、そのアイデアどこかで見たことがあるけど?」と指摘される貴方!


…それこそ夢ではありませんか?

それでは明日も宜しくお願い致します。

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