7月20日の日報

お疲れ様です。伊藤です。
昨夜は日報を書く時間がつくれなかったので、遅れて提出させて頂きます。

さて、バイオリズムというのはあるものだな、とつくづく感じます。
例えば、ランチどき以外の変な時間にファーストフードのお店に行くと、店内はガラガラなので「空いてるや」と思っても、自分が入るのと時同じくしてわらわらと他の人たちも入って来て突如お店が忙しくなる、という経験がよくあります。
気のせい、たまたま、そう考えることもできますが、私はいつも「自分と同じバイオリズムを持ってる人たちがやって来た!」とドキドキするものです。
「同志よ!」
「黄泉の国から戦士たちが帰って来た!」
バイオリズムとは『感情、知性などは周期的パターンに沿って変化するという仮説』ですから、自分と同じパターンを持った人たちが他にもいて、彼らとある種の運命を共有していると考えたとき、それってなんだか神秘的で楽しくもあり、同時に自分にとって都合が悪くもあります。
とはいえ、コントロールすることなぞ夢のまた夢で、我々はただバイオリズムに翻弄されるしかないのだ。

なにも根拠なき仲間意識に限ったものではなく、私は「物事は重なる」という意味でバイオリズムだ! と思う事があります。
今日(金曜)もそんなことを実感しました。とはいえ、悪い意味ですが。
今日の例でいうと、細かい要素があれこれ重なり結果としてミスになる、という感じです。結果論とはいえ、ミスの原因を振り返るとたいていはその流れに思えるので、ミスを避けたいのであれば『日々日頃から気を張ることで負のバイオリズムの魔手から逃げるよりない』という壮大かつ苦行のように厳しい自己鍛錬が必要となるのです。

バイオリズム!
嗚呼、私の人生の一喜一憂はおまえの手によるものなのだな!
おまえがいなければ私の日々は平淡かつチョー地味地味になってしまうだろう、だから俺にはおまえが必要なんだ!
でも今日みたいなのは勘弁だ!

つまり、「貴君、WEBとはいえ紙モノ並に気張ってないといけないよ」ということですね。
かなり昔にお仕事でご一緒した京都の某印刷屋さんの、
まるでドラマばりに毎週毎週殺人事件に遭遇してきた刑事の如き凄惨な修羅場を幾度となく越えることで到達したであろう境地を体現した物腰の柔らかさ青空の如し、
が今でも忘れられません……逆に怖かったぜ。

それでは来週も宜しくお願い致します。
よい週末をお過ごし下さい。