2月17日の日報 理性について

お疲れ様です。伊藤です。
本日はこれにて失礼いたします。

仕事帰りにパッと映画館に立ち寄って鑑賞しました、『サウルの息子』。
難解な作品だな、という印象であります。
観終わってから悶々と考えて、誰かのネタバレブログとか読んだりしながら、これはなんの物語なのかが次第にわかってきて、
「あ、ああ、あ〜……ああ!!」
となったのでした。

ホロコーストの怖さや人間の愚かさを直情的に描いて「戦争ダメ絶対!」と謳うような映画ではなく、ただただ悲しい物語なのでした。
広告文・評判などでは「これは尊厳を守ろうとした〜」という書かれ方をしていますが、私はこれはどちらかというと理性を失う敗者の姿だろうなと考えています。
狂気に満ちた世界で、人としての尊厳を踏みにじられつづける男が、最後の『理性』の欠片を保とうと強い決意で行動した時、それが理性的な行動であるとは決して限らない、という。


もうひとつ、作品を観ながら「なるほど!」と強く感じたのが、しっかり考え抜かれたカメラワーク・絵づくりによる心理描写の妙です。
スクリーンのアスペクト比から被写体深度、カメラの位置などで作品が切り出そうとしている核の部分を示唆しています。
「すげぇな…」
隣の席のサラリーマンおじさんが開始早々眠りこけて、だんだん私の方に肩を寄せてくるのを、地味に、チョー地味に「あっちいけ」と肩で押し返しながら、この長編デビューでいきなり問題作を提示してきた新進気鋭監督の力量にただただ感服するのみでございました。

重くて悲しい映画なので、万人に奨めるのも気が引けなくもないのですが、観て損はないかと思います。
(ただし、当時の国家間背景やユダヤ教文化について、予備知識があるともっと楽しめるかと)

それでは明日もよろしくお願いいたします。