8月27日の日報 FOREVER SUMMER

お疲れ様です。伊藤です。
本日はこれにして失礼いたします。

夏休みから一週間経っていますが、休み明けからめっちゃ忙しく、それだけ先週のあの優雅さが余計に際立ち、想いを募らさずにはいられません。

仕事をするようになってから、夏休みはカレンダー通り or ナシだったので、有給を織り交ぜて一週間以上の連休をとるという『天上人』のような休暇は経験がありません。
でも、そんな一週間休みをとれている連中からも、ネットを見ていると「まだ足りねぇ」みたいな意見が多いわけです。

「学生は1ヶ月以上も夏休みあるのに、社会人のオマエらときたら頑張っても一週間程度しかもらえないとは」
学生たちと比較検討すれば、そりゃ確かに一週間ごときでぬか喜びしている場合ではないのかもしれません。

そこで、やれ社畜だブラックだと騒ぐ連中もいるのですが、しかし私はどんなに頑張っても一週間以上の休みをとるのは難しいと思うのです。対外的に、経済的に。
(海外では、社会人が平気で一ヶ月休暇とったりしてますが……)

私は如来菩薩並に広い心の持ち主ですから、
8月中どこいってもお目にかかる『夏休みを無限と勘違いして永遠の開放感に包まれることで最高のテンションを発揮しながら街を闊歩する若者たち』に出くわしても、極めて健やかな笑みを送ることができます。
いや、できていた。
自分の夏休みを消化する前までは。
自分の夏休みが終わったのに、まだ夏休みを謳歌している奴らがいるというのは、どうにも納得できない。
菩薩の笑みはとうに消えた。

ではどうしたらよいか。
大人の夏休みをこれ以上延ばせないなら、学生の夏休みを削ればよいのではないか。
そう思うに至った今日この頃。
我ながらアタマいいな、と。

「学生たちだって夏期講習や宿題など、休み中も勉強に追われているんだ」
などと詭弁を垂れる輩がいようものなら、Negipeciaタオルで首絞めたる。
「だったら通常授業でええわな〜?(ギュッギュッ)」

学生に長い休みを与えることに一体何のメリットがあるというのか。
否、『夏休み』というキラキラな期間を設けることで一体なにを得られるのか? それは学生にとって必要なものなのか?
甘やかしは不要でござる、死なばもろとも精神でよりストイックな日本人を育てましょう。

法改正が必要なのか、
先に民衆の意識改革が必要なのか、
なんにせよ、仰々しい話になりそうです。
だったら自分で学校を作ってしまうか。
「伊藤大学である」
夏休みなど、ない。
いや、正確にはある。
敢えてこう言おう、「4年間ずっと夏休みである」と。

向上心のある奴は能動的に学を得るであろう。
夏を勘違いした愚者は永遠の夏休みを彷徨うであろう。
「死なばもろとも!」

あ、なんだか楽しそう。
大学ってどうやったら作れるんだろう!?

「あー夏休み終わっちゃったなー」
深夜の帰り道、ポツリと夏がこぼれ落ちた甲州街道

それでは明日もよろしくお願い致します。