7月24日の日報 スマートはモテる

お疲れ様です。伊藤です。
本日はこれにて失礼いたします。

とある方のブログを読んで強く同感しまして。

おれが考えるスマートな洗濯機は、洗剤なり柔軟剤なりを詰替ボトルからドボドボ直接タンクかなんかに全量投入しておいたり、洗濯機から伸びたチューブをボトルにブッ差したりしておいて、あとはスタートボタンを押せば、勝手に必要量だけ洗剤なり柔軟剤なりが流し込まれるというものだ。
なんで21世紀にもなって、いちいち洗剤なり柔軟剤なりのキャップに「おっとっと」と宴会で酌をする昭和のサラリーマンみたいなことをしなきゃならんのだ。

本当にスマートな家電なら買いたいんだ

(※こうやって他の方のブログから引用したい時、なにか他に良い方法はあるのだろうか…)

スマートフォンの登場に端を発する『スマートほにゃらら』シリーズのムーブメントについては、確かに「うーん」と首を傾げたくなるものも少なくないですね。

スマ婚とか、まぁスマートなプランかもしれないけれど、それをスマートフォンのスマートと同義で扱うには次元が違い過ぎる。
スマート家電も「違う違うそうじゃ、そうじゃない」とツッコミを入れたくなるようなスマート機能の開発にはやや閉口気味です。
(便利な機能の追加というのは理解していますが、「スマート」を冠するレベルかどうか、という意味でです)

上述と論旨が変わってしまいますが、
ソフトバンクが出した『Pepper』(例のロボット)って、本当に凄いことが起きてるんだな〜と思うのです。
ホンダのASIMO然り、将来的に家電の存在意義すら脅かす(?)存在だよな、と。
家事手伝いとか、車の運転とか、それこそ「スマート」な存在に取って代わっていく未来が、きっとある様な気がするんですよね。

そもそも労働の本質自体を変えるでしょうか。
人間はどんどん働かなくてもよくなっていくのでしょうか?
それって我々は資本主義でいられるのでしょうか?
きっと同じ人類を階級でわける思想は残るとして、それは何を基準に区切られるのでしょうか?
労働をなくした人類は、時間を持て余した時に何をするのでしょうか?
(一説では、家をひたすら建てる生き物になる、と聞いたことがあります)
……などなど。

ロボットと共に生きる未来って、倫理というかモラルというか、果たしてドラえもんの世界に成りうるかな〜、などと悶々と考えておりました。

でも次第に禅問答みたいになって来たので、途中で自分をビンタして「ギャッ」と叫んで現実(仕事)へ戻ったのでした。

スマート家電からロボット世紀へ飛躍できた1日。
夏のイマジネーションに限界はないのさ。
それでは明日もよろしくお願い致します。

着ぐるみロボット アソボー

着ぐるみロボット アソボー

人類が真にスマートになれる日は来るのだろうか。