4月14日の日報 おしえてDJ!

お疲れ様です。伊藤です。
本日はこれにて失礼いたします。

土曜日になるのですが、ちょっとおもしろい場所へ行ってきました。
ラジオ局です。某有名局の、某番組の放送現場(の内側)に入らせてもらいました。

海外からDJの友人が来日しており、共通の友人の計らいで彼がその番組にブッキングしてくれたのです。
なので、私ものこのこと後をついていっての社会科見学でした。

ラジオ。皆さんはよく聴かれますでしょうか。
正直に言うと、私は仕事中もプライベートも、自分の好きな音楽をただずっと聴いており、ラジオを聴く時間は日々の中にあんまりありません。

でも、中学生の頃はラジオっ子だったのも事実。
理由は忘れましたが、なにかにきっかけで聴き始め、すっかりハマってしまった私は、夜な夜なラジオを枕元に起き、しかし寝るわけでもなく仰向けの状態でひたすらラジオを聴きまくっていたものです。
22時から1〜2時とか。
ラジオがないと寝れないくらいで、今思い返せばかなり病的です。

とくに好きだったのは『赤坂泰彦のミリオンナイツ』で、今の私のギャグのツボはこの番組(とファミ通)で養われました。

うさんくさいポップス」とか、私にとっては思春期の開花であった!

【90年代】うさんくさいポップスを改めて聞く【ミリオンナイツ】NAVERまとめ

伝説のラジオDJウルフマン・ジャックも赤坂氏に教えてもらったのです。

さて、そんなラジオ体験を持つ私が昔からよく思っていたのが、
「ラジオって生放送なわけでしょ(そうでないのもあるけれど)? 生放送は緊張するだろうな、ミスは許されないからな〜、あの長時間ずっと緊張しつづけるなんてもの凄い精神力だな〜」
でした。
他にも、
DJへリクエストしたり、
リスナーと電話で繋がったりというのが、
実際にどういうシステム(テクニカル的な意味で)で行なわれているのかも不思議でしたし、そもそも
「電波ってどうなってんの!?」
と、ちょっとググれば分かりそうなことでも、私にとっては未だにミステリー。
たまにラジオ放送の部屋が映画や雑誌などに出てきますが、それも全て異空間のように映るのでした。

なものですから、
そのミステリーを解明できる日が来ようとは。
まさに土曜日は大興奮。
DJさんのいる防音室?と、編集さん?や私たちがいる部屋&つまみがズラッと並んだ変な機械を目にして
「え、映画や雑誌で見た風景と同じだ!」
私は飛び跳ね寸前です。
(本番中だったので限界まで静かにして気配を消していました)

当然といえば当然なのですが、スタッフの皆さんはまぁ手慣れた感じで作業していきます。
あのマイクをON/OFFにするスイッチ、あれってちょっとでもヘマしたらオフの声が電波に乗っちゃうわけです。そんな繊細な現場なのに、みんな「ハイ、次〜」と、ON! OFF! ON! OFF!
スムーズ且つテキパキと進めていくのが本当に凄い。
「生放送だからミスは決して許され、ぬーっ!」
スタジオの隅っこでモジモジする私をよそに、彼らの余裕感ったら神々しくて直視できない。

そして、感動すら覚えたのが、DJさんのトーク
滑舌の良さと、「ラジオ向けな」声トーン、そして尺のなかに言葉を並べていくセンスというのは、もはや匠の技ですね。
上段抜きに、防音ガラス越しに見とれてしまいました。
いや、聞き惚れる、の方が合ってるか。
「(お見事!)」
無言で膝を打つ私に周囲は訝しげな顔でした。
じつにいい体験でした。

ラジオだけが持つ魅力、ある気がします。
ラジオは昔から人々の拠り所として存在しているようなイメージが。
「マスター、ちょっと聞いてくれよ(グラスの氷の音)」
みたいな。昭和な。昭和のシーサイドステーションから恋人たちの哀愁をお届け、みたいな。
ラジオの孤独な空気を求めて孤独な人々が寄り添いに集まる、といいますか……。説明しずらいんですが。
インターネッツの台頭、テレビの衰退、音楽業界の……みたいに揺れるメディアにおいて、ラジオの独特(今となっては奇抜と表現してもいい気さえする)なポジションは興味深い。
自分の中でテンションが上がっている今だからこそ、改めてradikoをチェックしてみるのもおもしろそうです。

それでは明日もよろしくお願い致します。

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