10月18日の日報 

お疲れ様です。伊藤です。
金曜日の夜は仕事のあとにプライベートな用事が立続きに入っており、日報を書く暇がございませんでしたので、遅れて提出いたします。

数日前の話になりますが、アンパンマンの作者・やなせたかし氏が逝去されたというニュースが流れた日(火曜日)。
私は風邪でMAX体調が悪い状態だったので、仕事も早退気味に病院へ行きました。
診察後、薬局で薬を処方してもらっている間、待合室でのテレビで夕方のニュース番組を見ていたのですが、そこでもやなせ氏の報道がひっきりなしに伝えられてました。

その時、すぐ隣には順番を待つママさんとお兄ちゃん(5歳くらい)、妹ちゃん(3歳くらい)がいたのですが、お兄ちゃんがニュースを見て、
アンパンマンがどうかしたの?」
とママさんに問うておりました。テレビにアンパンマンの画が頻繁に出るから、気になったのでしょう。
ママさんは、アンパンマンを書いていた人が死んじゃったのよ、と説明し、お兄ちゃんが「なんで?」と返せば「おじいちゃんだったからね」とママさんは説明します。
「100歳まで生きなかったんだね〜」
と、お兄ちゃんはフーンな然ですが、まだ人の死を理解する年頃でもない子供達にとっては、アンパンマンの作者の他界はある意味で「必要ない」ニュースなのかもしれません。
そのやりとりを聞くために左耳をダンボ並にデカくしていた私は、やなせ氏の訃報に悲しくなる大人の一人でしたが、子供達の正直で無垢な反応に気付いて、
「そうか、真に気を向けなくてはいけないのは、やなせ氏ではなく、アンパンマンの方であった」
と、ダンボの耳をしゅるしゅると元のサイズに戻したのでした。

やなせ氏にとっては、来る死への恐怖だったり、自身の死がどれだけの人に悼まれるかよりも、現世に残すアンパンマンの今後が心配で仕方がなかったのかもしれません。
子供たちは自分の死に「気付く」必要などない、これまで通りアンパンマンを楽しみ(楽しむ、というより吸収する、という表現の方が近いかも)続けてくれるかどうか、それが問題である、と。

やなせ氏の逝去は、アンパンマンという作品が持つ本来の意義を再確認する良い機会にもなりました。
「世界一弱いヒーローの、弱いなりの正義の表現」
世界に類を見ないほどの優しい物語であるこのアンパンマンを、さて大人達はどう語り継いでいくのでしょうか。
そして、ドキンちゃんの恋の結末は如何に!?
つか、ドキンちゃんって元ネタが食べ物でない=ドキドキですから、その燃ゆる恋の炎のパワーたるや!

作者無き今後にアンパンマンを語り継いでいくことは難しいと思うけれど、大人がワクワクを忘れないことが、やなせ氏への一番の手向けになるのかもしれません。
それでは来週も宜しくお願い致します。

あんぱんまん (キンダーおはなしえほん傑作選 8)

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