9月11日の日報 日常の中の9.11 の巻

お疲れ様です。伊藤です。
本日はこれにて失礼いたします。

1週間以上前からかかっている風邪は、やっと完治に近づいてきましたが、いかんせん「声」が戻らない。
ずっとかすれた声で、鳥羽一郎氏を彷彿とさせる詰まった感のヴォイスでございます。

仕事で電話する時とか、ちょっと恥ずかしいです。極力平常を装うとしますが、無理に声を出そうとすると空咳でむせます。
こればかりはあまりにも治る気配が見えないので、もし今後ずっとこの声だったらどうしようかと若干不安です。
まぁこの声になったらなったで、ハスキーな鳥羽ライフを堪能するまでよ。


……みたいなことを考えていた今日は9月11日、米国同時多発テロから12年が経ったのでした。
当時はシドニーで学生をしておりましたが、何も知らずに朝学校に行くと、クラスメイトたちがみんなで朝刊を睨んでおり、
「あれあれ〜、みんなどうしたのwww」
と阿呆丸出しで尋ねたらば、
「……これ、知らないの?」
と怪訝な顔で返されたのを今でも覚えています。
ロザンナちゃんの、あの、寒々しい瞳)

私も私で、新聞を読んだだけではにわかに信じられず、学校に設置されていたテレビニュースを観て初めて顔面が硬直していくのを感じたのを鮮明に覚えています。

3.11も今日で2年半目ということでニュースになっていましたが、9.11にしろ、3.11にしろ、1.17だって、慣れちゃいましたね。我々はすっかり慣れてしまった。
それが悪いこととは思いませんが、慣れというのは頼もしいと同時に本当に怖いものです。

心配ないぜ 時は無情な程に すべてを洗い流してくれる

とは桜井氏の言葉ですが、
「ちょーっちょちょっちょ、ちょーっと待った〜!」
と時間の濁流に抗って足を踏ん張らないといけないこともあるのだな、と思った一日でした。

それでは明日もよろしくお願いいたします。