4月8日の日報 一億総人手不足なのだ の巻

お疲れ様です。伊藤です。
すみません、遅くなりましたが月曜日の日報を提出いたします。

先週末を使って、宮城県にボランティアへ行ってきました。
ボランティア団体のスタッフさんをして
「近年稀に見るハードさでしたねwww」
というくらい、素でヒーヒー言う程の力作業だったのですが(しかも見事に雨に降られた…)、前回までは瓦礫を片付けていたのが、今回からは何かしら「作る」「建てる」内容に変わっており、時間の経過を感じる作業内容でした。

ボランティアの数は時間が経つほど少なくなっており、これまではバス数台で現地へ移動する程だったのが、今回はハイエース1台分の小規模なチーム活動だったのですが、そのぶん現地でボランティア関係者さんからリアルな話をいろいろと聞けて、だいぶ新鮮な情報を仕入れることができました。
それが一番の収穫です。

感想として書きたいことを書こうとすると、
いつも長い私の日報が32倍ほど長くなってしまうので割愛しますが(それでも長いですが)、
すんごい大雑把に言えば、
「ボランティア、まだまだ需要あるわ」
でしょうか。

東京在住の私の感覚値でいうと、もう東日本大震災は一段落してしまった気がするのです。
被災地から距離のあるところに住む人々にとっては、結構な割合がそういう感じなのではなかろうか。
ほんでもって、これから「二段落目」「三段落目」へ移るべきなのが、一段落してしまった人の腰はそうとう重い。
「一段落目」(初動時)にどれだけ進められるかが肝であった、と今になって痛感させられます。

実際は、「復興」の進捗具合には地域ごとにムラがあるそうです。
ペースが早いところは既にボランティアの出る幕がないほどまでに立ち直っているそう。
しかし、まだまだな場所も存在しており、瓦礫だってたくさん残っている。
「復興格差」という言葉が出て来ているそうですが、メディアを伝って人々に届く情報にムラがあれば、自ずと実状にもムラが出てしまうでしょう。
世間に「もう支援・ボランティアはいいでしょ」ムードが広がってしまうのも、上述の情報伝播にムラがある故かもしれません。
そして、マイナーなところのハードな残務ほど
「誰かやってくれないかなぁ」
になってしまうのかもしれません。(そこがボランティアの出番なのでしょうけど)
なので個人的には、まだもう1〜2年はボランティアの需要はあるだろうな、と感じました。

なんにせよ、
「ボランティア」でググって出てくる情報と、現地の状況とでは若干温度差がある、というのは、今回私が自分で体験した感想です。

「ボランティアなんて、凄いですね〜」
と言われる時期はとうに終わり、
「ボランティアなんて、まだ行ってるの?」
と微妙がられる2年目です。
でも、去年とは違う、2年目ならではのボランティアの真実が浮かび上がっています。
話を聞けば聞くほど、じつに様々な問題が複雑に絡み合っている現場でした。
(しまいには、過疎化や高齢化などに辿り着く)
その問題を知り、解決策をうんうん悩んで考えるだけでも、今後の私たちの暮らしの智慧の糧になるやもしれません。

どうでしょ、GWとか夏休みとか。
ハードな作業でもソフトな作業でも、きっと喜んでくれると思います。
私も年内くらいにまた参加しようと考えております。

帰京する前には、宮城ですから当然の如く仙台へ向かい、噛んでも噛んでもなくならない奇跡の牛タンをたっぷり嗜み、
「もう牛タンしばらくええわ」
状態にまで己を高めてまいりました。

牛タンの横についてる、唐辛子の味噌和えだけでご飯3杯はいける。
それでは本日も宜しくお願いいたします。