10月6日の日報 例の本

お疲れ様です。伊藤です。
本日はこれにて失礼いたします。

自宅のマンションのゴミ捨て場は、目の前の通りの歩道そのものでして、昨夜に燃えるゴミを捨てに行ったらば、すでに多くのゴミが他の住人によって積まれていたのですが、その上に「エロ本」が置いてあったのでした。

エロ本というものを(コンビニの棚以外で)実際に見たの、何年ぶりでしょうか。
私が小学生〜中学生の頃なんかは、エロ本こそが我ら思春期ボーイズと『オトナの世界』を繋ぐ時空のトンネルでした。
誰かが公園などで湿気ったエロ本を見つけようものなら、極めて親しい友人のみに連絡がまわり、一同が公園に集い、ページをめくっt……雨に濡れてインク流れちゃって何も見えねぇじゃねーか!! と、発見した友人に全員で罵詈雑言を浴びせる負の青春スパイラルを何度も繰り返したあの頃。
気が付けばインターネッツの時代となり、エロ本は次第に存在の影をうすくしていき、気が付けば全く手に取らなくなった(必要なくなった)のでした。

昨夜に見かけたエロ本(表紙を見ると熟女系のようでした)を、私が嬉々として拾うわけでもありませんし、
「なんだエロ本か」
と一暼くれてそのままゴミ捨て場から部屋へ戻ったわけですが(ホントです)、
エレベーターの中でフと、
「あのエロ本を、例えば今の中学生が見つけたとしたら?」
と気になったのでした。
インターネッツネイティブな彼らにとってエロ本は不要なはずで、わざわざコンビニで購入することもないでしょう。故に、かえって実物を手にとった時に、どんなことを感じるのかなと。

「これ、わざわざ雑誌にする必要なくねwww」
と嘲笑うかもしれません。
インターネッツが我ら人類を『空間』という制約から解放してくれたのであれば、その恩恵をなによりも最初に受けたのは、全男子の「エロ本をどこに隠すか」問題だったのではないでしょうか。
(何かしらのデータをローカルに溜め込んだ時点で、その恩恵もあまり意味を成さなくなるのですが)

とはいえ、そんな次世代を生きるデジタルキッズだからこそ、
「こうして誌面という限られたスペースに展開されるレイアウト、編集、この紙質、インクの匂い……それらが形成する妖艶で湿ったピンクの世界、なにもかもが新しい!」
「なんか、巻頭グラビアとかの写真に、いちいちキャッチコピー乗ってる!」
「なんか、コラムとかある!!」
などと、敢えての感動を覚えるかもしれません。

むしろ後者のような新鮮な衝撃を受けて、彼らが内に秘めし性なる「何か」が覚醒してくれたら、この2016年にエロ本をつくり続けている編集者たちも本望なのではないでしょうか。

「あのエロ本が、次の世代に拾われていればいいのだが……」
エレベーターを降りて玄関までの廊下15mで、私は未来へと想いを馳せたのでした。


すみません、書いててホントに時間無駄にした気分です今。
それでは明日もよろしくお願いいたします。



今日はAmazonリンク貼れないですね