1月20日の日報 小野田さんという人
お疲れ様です。伊藤です。
本日はこれにて失礼いたします。
小野田寛郎さんをご存知でしょうか。
第二次世界大戦中にフィリピン・ルバング島へ出征し、滞在中に終戦を迎えたものの、彼は日本敗戦の報せを信じずに、なんと29年間もルバング島で情報収集や敵陣地への襲撃などの任務を続けたのでした。
それこそ「まるで映画のような」人生を送った人なのです。
(詳細は下記を)
小野田寛郎 -Wikipedia
「最後の日本兵」などと評されるように、壮絶且つ皮肉な運命を辿った彼に複雑な心境を抱く人も多いかもしれません。
そんな小野田さんが亡くなったというニュースを先週聞いて、私は色々と考えておりました。
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私は、小野田さんの講演を聴いたことがあります。ちょうど10年前くらいです。
彼のプロフィールを事前に読んで、「きっと戦争の惨さを教えるような講演なのかな〜」と考えていたのですが、いざ講演がはじまってみて驚きました。
まず、姿勢がめっちゃいいのです。
当時小野田さんは80歳くらい。でも針金のようにピンと背筋を張り、凛として力強く立っていました。(椅子が用意されていたが、最後まで座らなかった)
そして、笑顔が絶えない。
エヘヘと笑う顔ではなく、聴衆全員に穏やかな笑みで語りかけるような、温かい表情。ハキハキと喋り、終始にこにこしていました。
なにより、戦争の話をしなかった。
正確には話をしましたが、それは自身の経歴を説明するためで、戦争がうんたらかんたらではなく、講演の中核は「生きよう」というもの。
戦争の時代に比べて圧倒的に安全なはずの現代なのに、自殺とかいじめとか、人間の尊厳が侵されるケースが後を絶たない人の世で、それでも強く生きていかなければいけない……みたいな話でした(大方そんな感じのはず)。
えらい予想の斜め上をいくその存在にコーンとノックアウトされた私は、それから小野田さんに興味を持ち関連文献を読み漁りました。
当然ルバング島について書かれたルポルタージュが多いです、本人も回顧録みたいな本も書いているし。
しかしインタビューなど小野田さん本人の口から語られる主張は、過去を非難するものより、現在もしくは未来へ向けたメッセージが多い。
おもしろいのです、彼はルバング島をネタにして生きていない。
ルバングなしでは語れない……というのは事実ですが、ともすれば反戦や戦争の悲しさを訴えることに終始しがちな体験談を(周囲も放ってはおかずにそこをほじくるわけですが)、当の本人はそんなの訊かれれば答える程度で、とにかく「今を生きて」と語り続けてました。
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ちょっと想像してみませんか。
29年間、亜熱帯のジャングルに身を潜めていた。
衣食住すべてにおいて不便な環境下、智慧を絞ってひたすら耐えた。
いつどこで残兵狩りに銃撃されるかわからない、仲間である島田伍長と小塚上等兵も途中で失った。あとはずっと独り。
もう一度言いますが、それを、29年間。
……どうでしょう想像してみましたか、でも本人からしてみれば、きっと私たちの想像は全くもってヌルいはずです。
私は今32歳ですが、自分のこれまでの生涯とほぼ同等の時間をそんな環境で生き抜く自信はありません、心が折れて自殺しそう。
仮に生き抜いたとして、でも最後に「この29年間は誰にも必要とされていなかった」という結末が待っていたら。
これって悲劇にも美談にも教訓にも、ましてや笑い話にもなれない、恐ろしいほどに惨いストーリーなのではないかと、私は己のそのヌルい想像にですら震えます。
んでもって、そうなりゃ誰だって腐る。
私だったら「俺の人生返してくれ」とぎゃーぎゃー喚き、然るのちに自虐を演じて厚遇を求めるんじゃないかな。
自分の判断で島に残ったわけですが、あれだけ残酷な事実を突きつけられて、ちょっとでも「虚しい」と思ったら、人はすぐに腐りますよ。
「それくらいしたっていいじゃんか」と、卑屈になれる権利を振りかざすはずです。そんな権利、誰にも無いのに。
だからこそ小野田さんのことを知れば知る程、
「なぜ、そんなに温かいんですか?」
と、不思議でした。
帰国後ブラジルに渡って牧場を開拓する(これも壮絶だったらしい)、
のちに日本に戻り自然塾を開設して子供たちを指導する、
高齢になっても全国で「強く生きよう」と講演してまわる、
そもそも、世間から一生涯「アノ人」という目で見られ続ける……
人間、腐ると歩みを止めると思うんですが、だとしたら彼はズンズン歩き続けた。
私は、小野田さんにとって「生き抜いた」というのは、ルバング島での29年間のことではないと思うんです。
ルバング島「以後」を生き抜いたのだと。
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小野田さんの過去について、正義の観点から彼の行為の是非を問う議論があります。
でも、ルバング島のことは我々がどうこう言える範疇を越えた次元なので、もはや不毛ではないでしょうか。
それよりも、彼の「以後」の生涯から学べることがたくさんあると、私にとって小野田さんはそういう人なのです。
聖人では無かったかもしれぬが、生について語ることができる人。
人間には清濁あわせた生々しい沼みたいな部分があって、腰まで浸かったその沼から「腐るな」と、私に声をかけてくれる人です。
超絶に辛いことがあった時に、そっと思い出したい人なのです。
おなじ時代に、小野田寛郎さんがいる。
そういう思いは、ぼくにも、
なんともありがたい実感として、ありました
糸井氏が言うような、小野田さんに心を寄らせたい時、ってのが何度かありましたから。
お齢を召してらっしゃったので「近い将来こういう日が来るんだろうな」と時々思ったりしてましたが、実際に訃報を聞いてから数日経った今でも、こうして日報書きながら涙が止まらんとです。
一度講演を聴いただけなのに、なんでこんなにシンパを感じてるのか、自分でもちょっとキモいと思うんですけど、なんなんでしょう、
日本軍への立派な忠誠心とか、
銃弾避けられるよ(^q^)って超人ぶりとか、
そういう評価が世の大多数なんですけど、
女々しい私は、
小野田さんの「それでも生きていて幸せ」というのが伝わってくる瑞々しさこそが、
この女々しい日本の現代社会に語られなきゃ嘘だろ、と思うのです。
私は悲しい。
し、きっとまだしばらく悲しい。
泣いて彼の背中を追いたいと思います。
それでは明日も宜しくお願い致します。
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小野田さんの妻・町枝さんの著書。
ブラジルへ渡ってからの回顧がメインですが、「妻の覚悟」みたいなのがひしひしと伝わる一冊。