6月28日の日報 注意書きにご注意 の巻

お疲れ様です。伊藤です。
本日はこれにて失礼いたします。

SNSにてある方がこんなことを書いてらっしゃいました。
「日本のヨーグルトの容器には『フタを開ける時、ヨーグルトが飛び出す恐れがあります』と記載されていた。
日本では各種白物家電、台所、洗面所、お風呂場など様々な物に注意事項が書いてあり、相手と問題が起きないよう気を付けている。
後々問題にならないようにというのは理解できるけど、ヨーグルトの件を見て『ここまで書かないとダメなんだ』と思うと、日本人の綿密さや注意深さ、リスクに対する意識などが垣間見える」

これについて、じつは私も同じことを先日思ったばかりでした。
ちょっと、ここから先は、お食事中の方には申し訳ないのですが、まぁ食事を摂りながらこの阿呆日報を読む物好きもいないとは思いつつ、「トイレ」の話になってしまいますので、ご勘弁。

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男性トイレで小用を足そうと壁に向かっている間、我々メンズはとりあえず他にやることがないので目をきょろきょろさせるのですが、ふと視線を落とすと、便器の上面にこんな注意書きが書いてあることがあります。
「人がいない時でも水が流れることがあります」

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男子トイレに永久に入室する機会に恵まれない淑女のために説明しますと、
男子の小用便器にはセンサーがついており、人が便器の前に立つ→離れると自動で感知し、水を流す機能がついています。
(なかには手動のものもあるが、どんどん自動に変わっていっている)
もちろん水を流さないと不衛生ですから。

その水が、人のいるいない関係なしに勝手に流れることがありますよ、と注意書きは物語っている。
補足で「清潔に保つためです」的な文言が添えられているタイプもしばしば見かけます。
この文言は、きっとメンズの皆様は見覚えがあるのではないでしょうか。

普段何気なく目にするこの注意書きも、よくよく考えると奇怪である。
先日、稲妻の如き衝撃と共にひとつの疑問が沸き起こったのです。
「……だからどうした」
人がいない時に水が流れる。そうか、わかった。流してOK。
清潔のためですよね、定期的に自動で水流してもらった方がいいと、なんとなく私も思いますよ。

では、この注意書きは一体なんのためでしょうか。
私は用を足し終わったにも関わらず、そのままのポーズで便器の前に立ち尽くし、ひとり首を捻っておりました。

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日本人の「事なかれ主義」は世界でも一目置かれるほど。とことん責任逃れの一計を案じるわけです。すべてはクレーム対策である。
ということは、逆説としてこの「人がいない時でも水が流れることがあります」と書かざるを得ない理由=クレームが過去にあったと考えるべきでしょう。

人がいない時……
水が流れる……
ことがあります……

なるほど、そうかわかった、答えはひとつ。
おばけです。

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誰もいない閑散としたトイレというのは、例えそれが渋谷にそびえる新築構想ビル内の綺麗なトイレでも、どことなく気味が悪いものです。それが残業中の深夜なら尚更。
なもので、我らメンズはとっとと用を足して部屋に戻ろうと、緊張しつつも無駄のない手つきで素早くチャックを降ろす。
「おばけ出ないでね〜、おばけ出ないでね〜」
心のなかで「俺はおばけの味方だけどね」アピールを含んだ懇願を繰り返しながら用を足していたその時、
隣の便器の水が突然流れ出す!
「ぎ、ぎ、ぎ……」
失神
そう、私なら確実に失神するであろう、それくらい怖い。隣の無人の便器が突如水を流しはじめたら。

あとの展開は容易に想像がつきました。
翌朝、失神した社員からビルへクレーム。
「ここのビル、おばけが出るじゃねーかよ」
「おばけとは」
「トイレの水が突然流れた、あれはセンサーがお化けを感知したのだ」
「お化け感知できるとかいって日本の文明レベルどんだけw」
「私はお化けが大嫌い、不動産屋にお化けのことはちゃんと事前に確認したのに!」
「感知するセンサーもセンサーだが、感知されるおばけwww」
「もういい、今日このビルから退出します」
「」

次にビル側からトイレメーカーにクレーム。
「御社のトイレはおばけを感知しちゃうようでして」
「」

その流れの帰結として、冷静沈着なトイレメーカーは「おばけなんてないさ」のテーマで重役会議を開き、
「トイレの上辺に注意書きを加えておけばいいじゃない」
と、単純かつ最も効果的な対策を決議したのでしょう。

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その甲斐あって、
男子トイレにて人がいない時に水が流れることがあっても、今や我々は注意書きのおかげで、
「真面目かw」
と余裕で深夜のトイレタイムを過ごせるわけです。
おばけではありません、仕様です。

そう、このストーリーが教えてくれるように、
注意書きが私たちにもたらしてくれるもの、
それは事前の心構えであり、覚悟である。
日本人の行き過ぎた注意喚起、しかしそれこそが覚悟のススメであったのだ。

つまり、ヨーグルトなのかトイレなのか、おばけなのか冷静沈着なトイレメーカーなのか、もはや自分が何を言いたかったのかわからなくなってきましたが、
この伊藤日報は、そんなオチのない話題ばかりを日々書き連ねる恐れがあります。

それではハナキンよーいドン。
素敵な週末をお過ごしください。